Noh Jesu 公式ブログ|

このブログは、nTech(認識技術・観術)創始者 Noh Jesu(ノ・ジェス)公式ブログです。

【令和哲学27】メタプラットフォームSNS3.0の時代をリードする令和哲学〜全体主義の恐怖の問題、個人主義の孤独の問題を一掃させることができる真の教育者を量産する〜

 

デンマーク童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの代表作の1つとされる『裸の王様』。令和哲学シリーズ27では、誰もが知っているこの物語を題材に、話をしていきます。

まず、『裸の王様』のあらすじを見てみましょう。

 

ある王国がありました。

その王国には神秘な噂がありました。

それは、「愚かな人」「地位に相応しくない人」には見えない布がある、という噂です。

それは実は、神秘な布・奇跡の布ではなく、2人の賢い詐欺師の詐欺行為によって作られた噂でした。そのような布は実在しないのに、人々は「愚かな人・地位に相応しくない人には見えない布なんだ」と聞いた時に、自分が愚かな人と思われたくないので「美しい布ですね」と言ってしまったのです。

その結果、神秘な布・奇跡の布の噂が王国全体に広がったある時、このことが王様の耳に入りました。

実はこの王国の王様は新しい服を着ることが大好きな人でした。この王様はその神秘な布で服をつくることを臣下に命じ、その布をもっているという2人の詐欺師を宮殿に呼びました。

王の臣下たちは、誰も布は見えていませんでしたが、「愚かな人」「地位に相応しくない人」に思われたくないので、「美しい布だ」と言いました。

王様も実際は見えなかったのですが「愚かな人」「地位に相応しくない人」と思われたくなかったので、その布で私の服を作ってくれと命じるのです。

時が流れ、服が完成したと連絡が来て、王様は臣下たちの「美しい服だ」という感銘の声に影響を受けて、裸の上にその見えない服を着て民の前でパレードすることを決めました。

民衆は、神秘な布でつくった服を着た王様のパレードがあるという噂を聞いて見物しに集まってきます。そして、パレードを見ながら口々に「本当に美しい!」と褒めたたえ拍手をしました。

すると、ひとりの5才の子どもが「王様は裸だよ」と叫びました。

しかし、それを聞いた王様は知らんぷりをしながらパレードを続けます。

 

 

この物語を通して、今の時代を生きる私たちが何を学ばなければならないのかを2つの問題で整理しました。

 

  1.  時代の評判権力や中心価値がひとつに固定されることを恐れている全体主義」への恐怖のトラウマの問題
  2.  時代の中心価値、評判権力の構築方式の問題

 

この2つの問題は、AI時代を迎えた今、世界75億人が共通に解決しなければならない時代的な課題とも直結しています。

 

まず、1つ目の「時代の評判権力や中心価値がひとつに固定されることを恐れている「全体主義」への恐怖のトラウマの問題」からみてみましょう。

『裸の王様』という物語は、王政や君主制といった全体主義時代のお話です。中心価値として評判権力になってしまった、ひとつの観点に固定されてしまう全体主義社会では、絶対的支配権力をもっている王様に従うしかない民衆が、画一性・独裁制・独断性にはまり、嘘があふれる風潮になります。その結果、生産性が低くなり、団結力が低下することで国の土台が根本から揺らいでしまいます。

これを歴史の流れでみてみれば、人類は一人ひとりの観点の違いを認め、多様性を認めることを最優先する「個人主義」へと、全体主義個人主義に移動するようになります。このように全体主義の問題を解決しようとして、個の意義や価値を重視し、個人の権利や自由を尊重するといった「個人主義」が胎動しました。

しかし、多様性を大事にする個人主義が蔓延した現代は逆に、時代の固定観念や中心価値が複雑になりすぎて、情報・知識・技術の価値、ビジョン・名誉・お金などの格差が大きくなり、不信、不安、不平不満があふれ、複雑なジグソーパズルがどんどん増えています。

また、守らなければならない秩序が多すぎて、共同体秩序を通しても統制、統合が不可能になっています。今や人類は、どうすればいいのかわからず方向性喪失している状態です。

 

では2つ目の問題、「時代の中心価値、評判権力の構築方式の問題」をみてみましょう。

現代は、マスメディアの権力や最先端の知識人の観点固定が大きな問題を作っています。

『裸の王様』をみてもわかるように、人間は世間の評判に簡単に負けてしまう生き物だということです。つまり「評判権力」に弱いのです。

そもそも人間は「脳の観点」に初期設定された状態で生まれ、脳に抗えないため、誰一人として自ら判断をし、主体性を持った意思決定をしたことがありません。

そのため、根底では自信が持てず、常に周りの目を気にしながら、機械的条件反射の因果システム、バイオケミカルアルゴリズムによる機械的な脳の判断に支配されているのです。すなわち、思った通りに行動するのではなく、行動したことを正当化させる思い込みの言い訳の論理の因果論理展開に忙しいのが、現代人の特徴です。ですから結果的にマスコミやSNSなどに踊らされ、情報知識に溺れてしまうのです。 

このようなことから私たち現代人は、個人主義、観点の多様性の作り出す情報知識の過剰さ、複雑さや格差などによりどんどん繊細な神経と礼儀を使わなければならない関係構築秩序などによって、その重さで今にも窒息しそうな息苦しい時代に生きているといっていいでしょう(窒息社会)。

変化のスピードは激しさを増し、多様性や複雑性にあふれ返る中、何をどう選択していいのかもわからず混沌、混迷を極め、また、格差の広がりもとどまることを知らない競争社会の中で、人間のIQをはるかに上回る人工知能(AI)の競争に投入されているのです。

 

人間は、「脳に抗えないまま“本来の心”が脳に敗北した状態で生きる存在」ですが、その人間にさらに時代の荒波が追い打ちをかけているのです。ですからこの息の根が止まるような窒息社会に、息を吹き返して呼吸ができるよう、起死回生させる技術・価値・ビジョンがいま最も求められています。

二つの問題である時代の中心価値、評判権力の構築方式にどんな問題があるのか確認する必要があります。

  

そんな中で、哲学界のロックスターの異名を放つドイツの若き哲学者マルクス・ガブリエル氏はこのように述べています。

「すべてを包括して、完結させてしまう“たったひとつの真理”は存在しない」と。

このように全体主義を排斥、排他するような宣言をし、また「多様な観点をマネジメントするのが政治の用途、機能、役割であり、観点の違いを認定することから出発するのが思想自由である」と述べ、「人生の意味は、無限の意味と対決することの行為である」とも言っています。

ガブリエル氏のこの3つの主義主張は、全体主義における「価値観、評判権力がひとつに固定されてしまう恐怖」から自由になっていないため、残念ながら全体主義個人主義の問題を超える知恵には到達できていません。

 

ガブリエル氏のこの主義主張は、ドイツ統一のナチズム、全体主義に対するドイツの恐怖が完全に解決されていないことを読み取ることができます。 

これは日本も同じで、全体主義に対するトラウマと恐怖が残っていることをヒシヒシと感じています。なぜならば“たったひとつの真理”と聞けば、多くの日本の方は「怖い」「それは全体主義ではないか?」などとアレルギー反応を示すでしょう。

しかしnTechエヌテックと令和哲学が主義主張する“いまここひとつだけがある”(たったひとつの真理)は、この全体主義や画一的なものとはまったく異なります。それどころか、個人主義が認める一人ひとりの観点を大事にする以上に、人間一人ひとりの尊厳の価値を認めているのが令和哲学、nTechエヌテックです。すなわち一つの観点に画一的に知識を統一するものではなく、あらゆる観点の違いを認め合い、すべての観点を楽しみながら次元上昇させ、知っている世界から自由(無知の完全性)であり、世界の根源を知らせる源泉的な動きであり、真理の博愛そのものになれるのが令和哲学、nTechエヌテックです。

 

 

人間たちが全体主義、画一性という蛇に驚愕し逃げようとする中で、個人主義・複雑性・孤独というライオンの群れの獲物になっていく頂点に立っているのが、地球上に住む人類75億人のいまの現在地です。全体主義”という蛇だらけの洞窟に戻ることもできないし、“個人主義”というライオンの群れがあふれる場所でただ獲物になってしまうことも苦しいという進退極まる状況(絶体絶命状態)をどのように突破するべきかが、この時代の中心課題でもあります。全体主義の恐怖、個人主義の孤独を同時に解決していくことを、明々白々に実施しているのが令和哲学であり、nTechエヌテックのビジョンであり、SNS3.0のビジョン価値です。

  

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現実やあらゆる現象は、観点が生み出す結果にすぎず、“実在しない虚構”です。

観点とその観点が生み出す結果(現実、現象)は、脳の観点に支配された“心の変異体”なのです。観点と観点が生み出す結果は、数学で表現すれば1対1の対称性で成り立つもので、言語学で表現すれば、この世界はS(主語)とV(述語)であり、この1対1を生み出す第一原因が「源泉的なひとつの動き」です。

そしてこの源泉的なひとつの動きは、無限大対無限大(∞対∞)の対称性を持った、完全循環運動であるから1対1の対称性の因果の論理を含めて超え、包越してしまうのです。そして全体主義個人主義の限界を突破し、イメージ不可能なものに対する価値をイメージ可能なことに対する価値より上位ポジションにセッティングして、無知の偉大さ神聖さを認定することが、令和哲学、nTechエヌテックの認識技術です。もちろんこの最高の頂点の絶対性に到達するためには必ず相対世界のすべての1対1の対称性の因果の仕組み、すなわち変化の仕組みを明白に説明することができる主義主張であることだと、令和哲学とnTechエヌテックでは語っています。

 

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全体主義の恐怖を超え、多様性や複雑性にあふれ、格差や変化、秩序などが激しく変わってしまうこの“窒息社会”を救済できるのは、全体主義個人主義の良さを生かし、悪いものを100%排除し、宗教、数学、科学、哲学、美学など人類が蓄積した既存の知識すべてを包括し完結してしまう、“たったひとつの真理”が、現代はとても必要な時代だといえるでしょう。そしてそれが「令和哲学」でもあります。その“たったひとつの真理”を土台にしてこれまでの繋がり方の限界を超えた、まったく新しい関係構築方式、SNS3.0、メタプラットフォーム技術を提示しようするのがnTechエヌテックなのです。

 

先ほどお話した2つの問題の“評判権力の構築方式”を、ほんの一部分の人間たちが決定するものではダメだ、と令和哲学では言っています。そしてできるだけ多くの人たちが存在して、情報や観点やビジョンがいつも公開され、批判を受け入れ、進化発展し続け、そして新しい技術、商品、価値、文化が終わりなく次元上昇することができる共生共栄の討論の場。このSNS3.0、メタプラットフォーム技術を私たちは全世界に提案します。

「あることやあるものを教える者」は、本物の教育者ではありません。「ある事件、仕事を起こす実践行動を通して教える者」が本物の教育者になれるのです。

 

『裸の王様』の物語の全体主義時代から、現代のような個人主義自由民主主義が胎動しました。 

しかし時代は、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が語る『ホモ・デウス』時代にまっしぐらにひた走り、AI人工知能が大活躍しながら多様性や複雑性、格差がより一層ひどくなる窒息社会を迎えています。

そんな今、どのような実行や実践行動を行うことが「本物の教育者」といえるのでしょうか?そして、どうすれば世の中にこれらがあふれるようにできるのでしょうか?このことから、私はSNS3.0を提案します。

 

童話『裸の王様』では、「愚か者や、自分の地位にふさわしくない者には見えない、不思議な布地を織ることができる」という詐欺師がつくったフレームに束縛され、虚構の中心価値を誰もが受け入れ騙され、踊らされてきました。

私たちが生きるこの現代も虚構があふれ錯覚だらけです。しかしそれらは、時代の中心価値をつくるメッセージでもあるのです。最先端の知識を生産する知識人の使命感、それらの知識を消費する消費者、これらを生み出す評判権力をいかに次元上昇させ、賢い生き方を選択できるようにさせることができるのか?これらがこの時代の一番優先して解決しなければならない中心課題であることは間違いありません。

 

 

ここでは、今までずっと語られてきた『裸の王様』のイメージとは正反対のイメージを使うので混同しないでください。

これまでは“観点と観点の解析の結果を絶対視”しながら、“観念の服を着続けること”にしか、人間は関心がありませんでした。しかし今からの時代は、正反対への方向性転換が必要です。それは観点を次元上昇させ、観点のゼロ化状態になることです。

つまり、どんどん“観点の服を着る”のではなく、どんどん“脱いで”しまうことです。すべての観点の服を脱いだ時、まっさらな裸、観点ゼロ状態になった時、それが“たったひとつの真理”であり、令和感覚、令和状態です。本物の教育者が量産されるシステムによって目覚めが起こるのです。

 

”虚構の基本単位であるS・V(主語・述語)がひとつも実在不可能な心の状態”になっている本物の教育者・この歴史を変える本物の教育者を量産させるシステムが具現化できる場所が、日本であることは間違いありません。75億全人類を目覚めさせる教育革命を実践する日本のミッションに、nTechエヌテックが貢献できたら幸いです。

 

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令和哲学は、心の時代をリードする本物の教育者の量産システム、相応しいリーダーシップのモデルとして「SNS3.0」「メタプラットフォーム」という道具を、令和元年とともに出発させようとしています。本日、令和元年10月13日は、「東京Re・riseフェスティバル Dignity2.0 ×SNS3.0」で、その構想をお話させて頂く予定です。ご興味のある方はぜひご来場ください。

 

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【令和哲学26】カント哲学の美の概念と、数学の概念の次元上昇をさせる新概念・令和美学

 

 「大きさがない世界」をみなさんはイメージすることができますか?

 

今までの人類が構築した知識体系は、大きさがあることが大前提で成り立っています。「時間」にも大きさがあり、同様に「空間」「存在」「エネルギー」にも大きさがあります。人間が持っているすべての暗記言語(※注1)は、大きさや境界線がある固有名詞の変化・運動・移動を語っており、人類はこの暗記言語を使って今までのすべての知識体系を整理整頓してきました。

令和元年を迎えた令和時代は、これまでの「大きさがある世界」という大前提が覆されるでしょう。今この瞬間、時間の大きさも、空間の大きさも、存在の大きさもない世界が当たり前になり、これまでとは次元が違う動きである「無境界線の動き」が大前提になるのです。(ちなみに、これまでは模様や形、境界線がある固有名詞が3次元の動き(縦横高さの動き)をし、この多様な現象世界の動きを運動方程式で記述・表現してきました。)

大きさがなく、固有名詞もないイメージ不可能な動きと、そのイメージ不可能な動きの主語(S)と述語(V)を生み出す動き、その次元が違う動きのことを、nTechエヌテックでは「源泉的な動き、永遠不変の動き、絶対世界、オリジナルマインド」などと表現しています。そしてこれを、令和の“今「1(ひとつ)」”の一番深い心の動きである、と規定しました。この心は、無関係の心、無関心の心でもあり、無所有の心、無所属の心、束縛されない心、機械化されない心、分離断絶が不可能な心、おもてなしの心、などと言い表すこともできます。

 

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令和哲学26では、この「大きさがない心」をテーマに語ってみたいと思います。

大きさがない世界は、数学言語でいう「虚数複素数)i」と似ているように見えるかもしれません。しかし虚数複素数)iも、実は大きさが存在します。虚数複素数)iはとても抽象的な世界ではありますが、数学上で「Imaginary Number」と呼ばれているように、想像上(=イメージ可能)の数字です。ですから虚数複素数)iは、抽象的な境界線が存在する「大きさがある世界」に含まれます。

大きさがない心(オリジナルマインド)、つまり「イメージ不可能な心」から「イメージ可能な心」が生まれ、「イメージ可能な心」から「エネルギー化された心」が生まれ、「エネルギー化された心」から「力によって物質化されたエネルギー」が生まれ、そして私たちのように身体をもった人間が認識する「物理現象」が生まれています。

すべての大きさを一直線上に並べることができる実数体系(Real Number)と、具体的で固定している大きさではないけれど抽象的なイメージの大きさがある虚数複素数)i(2乗すればマイナス1、4乗すれば1になる)は、2次元の複素平面上に表せます。この実数R、虚数複素数)iともに共通していることは、「人間の脳の観点を通過した結果物に留まる世界」だということです。

機械的な反復をしない心、大きさがない心」の世界は、数学のガウス平面や、複素平面の2次元数体系では、表すことができません。そのため、今までの数体系を2次元から3次元に拡張する必要があります。既存の数学の概念では、大きさがない世界に対する表現が存在しないため、nTechエヌテックでは「J」と名付けました。アルファベットの並びは、a,b,c,d,…h,i,j…と続きますが、こうみたとき虚数複素数)iをバックアップする「J」とも言えますし、また虚数複素数)iは、機械的な反復をする心と観ることができるので、虚数複素数)iを機械的な反復をしない心に復元させる新概念として「復元数J」と名付けました。また、観点が1であり0であり∞であるという意味を含めて「0=∞=1」とも表現できます。

大きさがない世界、復元数Jの機能は、「大きさが生まれたり消えたりすることを統制できること」です。大きさがある世界でもなく、大きさがない世界でもないのがJなのです。これをイメージするために、まず棒磁石を例えにイメージしてみましょう。棒磁石は一見、NとSが別々に存在しているように見えますが、「NとSに分離しよう」と思って分けたときにはどうなるでしょうか?結果は、Nだけだと思っていた部分にSが生じ、Sだけだと思っていた部分にはNが生じます。このことから、磁石は「NでもないしSでもない」と言えます。NにもなれるしSにもなれる、NでもSでもない「何か」が実在するだけなのです。

Jも同様に、大きさがある実数Rもできたり、具体的な大きさがない虚数複素数)iもできますが、実数Rでもありませんし、虚数複素数)iでもありません。実数Rも虚数複素数)iも、本物に戻る復元数Jによって成り立っているのです。ですから、その源泉的なひとつの動き「復元数J」によって、すべての大きさの生滅現象を語ることができるのです。

  参照:令和チャンネル No.19 J(0=∞=1)とi(虚数)とR(実数)の関係性-Youtube 

令和の“今「1(ひとつ)」”は、源泉的なひとつの動きそのもの、大きさがない世界、復元数Jです。このひとつが生み出す和の世界が、本物のBeautiful Harmonyを奏でるのです。この世界は、哲学者イマヌエル・カントが1790年に刊行した哲学書判断力批判』に出てくる「無関心からみること」と親和性が高く、真の美の具現化と相通じるものがあります。

カント哲学には、上記の「判断力批判」を含む三大批判があります。ひとつは、第一批判と呼ばれる「純粋理性批判」、第二批判の「実践理性批判」、そして第三批判の「判断力批判」の3つです。これらカント哲学を、今ここ、ひとつだけがある令和感覚とつなげて語りたいと思います。

まず、第一批判の「純粋理性批判」では、「人間の5感や脳の観点では、超越的世界や絶対世界、人間の究極の本質世界を知ることは不可能である」と言っています。つまり人間の経験や、その経験を元につくられた知識では、超越的世界や絶対世界を知ることはできない、と言っているのです。人間が何を知り(Know)、何を実践でき(Do)、何を希望できるのか(Hope)において、人間は超越的世界を知ることができないのだから、その世界を追求するのではなく、自然法則や物理法則の研究に集中すべきだ、と強調しているのです。

しかし第二批判の「実践理性批判」では、純粋理性批判で主張した立場を一変させています。純粋理性批判では、「自然法則や物理法則などの科学的真理(知性)を知ることが大事」だと強調していましたが、哲学的真理を強調する実践理性批判では、「超越的世界や絶対世界を取り入れる必要性」を強調しているのです。

人間が自然法則に支配されたり、自然法則を満足させるひとつの手段になったりすることはあってはならない、とカントは主張します。哲学の普遍法則の証明は難しいことですが、もし人間が巨大な自然法則の中で、機械の歯車や小さな部分のような存在に留まってしまえば、偉大な実践はできなくなってしまいます。そしてその結果、最高の善を成し得る“理想の王国”の実現も難しい、となるのです。

このことから、実践理性批判では、「神人合一した霊魂不滅の存在が人間である」と認定すべきだと言っています。人間が絶対世界とひとつになったとき、人間の最高の実践力が生まれるだろうと主張するのです。ただしこれは、宗教にはまり込んでしまうというような危険性も隣り合わせである、とも言っています。

さて、第三批判の「判断力批判」では、実践理性批判以上に、超越的世界や絶対世界からの判断の必要性を語っています。「本物の美的認識に達する絶対条件は、絶対世界からの判断である」と強調しています。

判断力批判においての美しさの判断は、どんな関心とも関係をもたず、「無関心状態で認識すること」だと強調しています。関心とは、「5感覚現存の表層と結合した満足状態」のことを指します。ですから「無関心な満足」は、5感覚現存の表層である「大きさがある状態」とは関係を持たない“無境界線の心から認識する世界”を基準に判断することだと言っており、これこそが「真の美」であるとカントは言っているのです。

さらに、真善美の中でとりわけ美の概念は、主観的世界を超えた客観的かつ普遍的な性質として既定(Define)可能であり、この美的認識センスは、他人にも「主観的な普遍性」を要求するというのです。そしてこの要求は、判断そのものの中に結合されており、分離不可能な世界だと言っています。

このカントの美的認識センスの主張を、nTechエヌテックからみたらどうなるでしょうか?

私たちが普段、5感で認識している世界(時間・空間・存在・エネルギー)は、実はバーチャルな錯覚世界であり、映画のスクリーンのようなものです。そして、この錯覚世界である現実を成り立たせているのは、0.7%ほどのオリジナルマインドであり、一番深い心であるとnTechでは言っています。

  参照:【令和哲学23】AI時代、哲学の最大の難題である「決定論」と「自由意志論」を融合する令和哲学

この心を日本では「おもてなしの心」と表現しています。この心で“今ここ”をみたときには、すべてが美しく、偉大で神聖に感じられるようになります。そして、大きさのない心の世界から、大きさがあるエネルギーや物質すべての世界を見渡している状態です。このすべてを調和してしまう世界は令和そのものであり、Beautiful Harmonyそのものであり、日本人の美的認識センスでもあります。

人間は何を美しいと認識するのでしょうか?

認識主体と認識対象が切り離された「認識対象」の中では、普遍的な美しさの基準は存在できないため、美の規定は不可能です。美を規定するには、認識主体が「美に対する理想などの趣向や観点」を持たなければなりません。そして、美しさは必ず満足感とつながる必要があります。つまり、心が満たされる状態です。すべての認識主体が、「美に対する普遍的な共通の感覚」という根拠を持たなければ、普遍的な美の概念は成立しないのです。

つまり、人間一人ひとりが美を認識するためには、美を認識する共通の感覚を持っている必要があるのです。人間一人ひとりが共通感覚、普遍感覚を所有しているからこそ、お互いがお互いに要求する権利が発生します。このことから、真善美の中で美だけは、強制力を持つ価値概念だと言えるのです。

美的価値を強調する「令和」は、宗教や科学の限界を突破した令和美学で、世界の75億人を大統合に導く21世紀の中心理念になるだろうとnTechエヌテックではみています。日本のわびさびである令和美学がリードする美学の時代・心時代の到来に、nTechが貢献できたら幸いです。

 

※注釈1:この「大きさがある時間・空間・存在・エネルギー」に対して名前を付けたものが、日本語や英語、フランス語などの「自然言語」と呼ばれるものです。nTechエヌテックでは、この自然言語を「暗記言語」と新しく名付けました。そしてこの暗記言語(自然言語)も当然、大きさが存在することは明らかです。つまり、これまでのすべての知識体系は、「大きさや境界線がある固有名詞が、どう変化、運動、移動するのか」を語るものだったのです。

 

 

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【令和哲学25】人間を動かす旧いエンジンを新しいエンジンに上昇させることで、AI時代の危機をチャンスに大反転させる英雄集団日本の令和維新が始まる

 

あなたの人生を変化・運動・移動させている力の源は何だと思いますか?

何によってあなたは、生まれたり死んだり、寝たり起きたり、考えたりしゃべったりすることができますか?

つまり、生きる原動力である人間のエンジンとは、いったい何でしょうか?

 

人間は「精神エンジン」にもっとも影響を受ける存在です。この精神エンジンは、人間の考え・感情・言葉・行動・人間関係を誕生させ、変化・運動・移動させるエンジンです。

 

しかし、人間の行動を駆り立てたこれまでの精神エンジンはすでに摩耗し、限界に達しています。人類が誕生して以来、ずっと使い続けてきたこのエンジンは、「5感に依存して積みあげた経験や知識」をベースに、“高さの幸せ”を追求するものでした。そして、このエンジンからくるライフスタイルは、AIの登場により終焉に向かっています。

 

高さの幸せを追求する生き方は、まるで「成就動機の奴隷」のようです。「何かが足りない」という不足感の「×状態」を、「〇状態」に満たそうとする変化パターンを続ければどうなるでしょうか?

結果は、大量生産が予測される「無用者階級層」の仲間入りです。人類500万年間ものあいだ使い古された“高さのエンジン”を、“Deepエンジン”に変えるための重要なキーワードは、「本物の問題意識」を持つことです。

 

「すべての問題を生み出す根本問題とは?」
「人間を不幸な行動へと自然に誘発する構造・関係とは何か?」


このような「すべての問題を生み出す、問題の根本原因」を知らないままで生きることは最悪の地獄です。人間が“自然に不幸になってしまう原因”に気づかず、その原因を追求しないままでどんなに頑張っても、一向に報われません。たとえ報われたとしても、それは一時的な報いでしかなく、報いの有効期間が切れたときの喪失感は喜びの何倍も苦しいものです。

 

では、すべての問題を生み出す根本問題とはいったい何でしょうか?

nTechエヌテックでは、それを「観点の問題」だと定義しています。

この観点の問題に気づかず、考えもしない状態の中で、この問題が実はいかに悲惨で残酷、屈辱的であることかを正確に伝達できる具体的な表現を探してもなかなか難しかったこれまでがありました。

その中で、不愉快なイメージに思われる可能性を覚悟して表現すれば、それは中世時代の女性の人格がまったく認められない時の「貞操帯」に例えて伝達できます。

 

貞操帯は中世のもので、当時は女性の人格が認められない時代でした。ですので、もしかしたら表現に不快に思う方がいるかもしれません。中世の十字軍遠征に出兵した兵士たちが、妻の浮気防止として施錠つきの下着をつけさせたのが「貞操帯」です。もしその兵士が戦死して帰らぬ人になったならば、貞操帯をつけたままの妻はどうなるでしょう?悲しいことに、誰とも永遠に愛し合うことができなくなるのです。愛したいけど愛せないのはとても残酷で苦しいことだと思いませんか?そんな貞操帯より1000倍以上苦しいものが、「観点の無知」だと言いたいのです。観点の問題を認識できないから、当然、観点の問題を解決しようともしないまま、思った通りにならない人生を過ごしているのです。厳密に言えば、思った通りに行動することができず、行動・生活した通りに思う、すなわち脳の観点に支配され機械的条件反射の行動、生活を正当化する言い訳ばかりの人生になってしまうのです。(詳細は令和哲学23をご参照ください。https://blog.noh-jesu.com/entry/09/08 )

 

人間は「脳の観点」に固定された存在です。「夢から目覚めても、まだ夢の中だった」というように、深い深い11次元(11段階)の眠りについていて、その夢の階層から目覚めるのは簡単ではありません。別のもので例えるならば、人間はVR(仮想空間を体験できるヘッドセット)を脳内に装着した状態で生まれているようなものです。ですから、VRゲームの中のイメージを「すべてだ」と思い込み、VRゲームの中のイメージとしか出会ったことがなく、「VRを通して見た世界が絶対だ」と思い込んでいるのです。しかも悪いことに、例え身体が死んでもVRゴーグルは無くなることはありません。そして、生まれ変わったときは、以前と同じVRゴーグルを内蔵して生まれてくるので、当然、前と同じようなゲームを繰り返すのです。これを仏教では、輪廻転生と言っています。

 

人間の脳の認識のクセは、「①部分だけをとる、②違いだけをとる、③過去とつなげてとる、④3次元有限化してとる」という4つに整理できます。この脳のクセがあるので、脳は「共通点」を認識できません。これが人間の脳の観点の特徴です。この観点につかまれてしまった大自由の心は、宇宙ビッグバンから138億年間、観点からほんの少しも自由になったことがありません。つまり「観点の外」へ出たことがないのです。もしあなたが、10日間とても狭い部屋に閉じ込められて、一歩も外へ出られないとしたらどうなるかを想像してみてください。それがどれほど苦しいことかはイメージしやすいでしょう。でも、もしそれが10日間ではなく138億年間も続くとしたらどうでしょう?それは想像を絶する苦しみだと思いませんか?

 

ですから人間は誰もが、強烈な諦めや挫折、絶望、怒り、不信、不安、恐怖等の感情の荒波の中で生活しています。これは無意識的働きです。つまり、「心が脳にいつも負けている」のです。心がエネルギーの服に閉ざされて苦しいので、その服を脱いで自由になるために大きなショックをどんどん誘発しようとします。あなたが自己嫌悪に苛まれたり、誰かと喧嘩を繰り返したりしているのは、そのショックを誘発するためなのです。

 

そのショックを得るために、激しい自己否定や人間関係、家族関係、恋人関係、夫婦関係、友達関係、上司や部下との関係など、様々な関係で摩擦し、破滅し合い、傷つけ合います。さらに、集団同士の摩擦や衝突、国家間の戦争等、強烈なぶつかりやショックを幾度となく繰り返します。このように互いのエネルギーの殻を衝突させ、外身を分けることで、殻を破って大自由の心へと解放しようとするのです。

 

過去に人類は、第1次、第2次世界大戦という強烈なショックを経験しましたが、あれほどのショックでも、心がエネルギーの服を脱ぐためには物足りなかったようです。だとしたら次は、あの世界大戦以上のショックを欲するでしょう。それは核戦争か、AIによる無差別人間殺戮戦争か。いずれにしても、想像を絶する悲惨な大ショックが起きる未来になる恐れがあります。ですから、それを避けるためにも、人間が一刻も早く目覚めることです。そうでなければ、エネルギーの中に閉ざされている心が「エネルギーの服から自由解放されたい!」、「エネルギーの服・機械的条件反射を繰り返させるエネルギーのアルゴリズムの服を脱ぎたい!」と叫び、その心の動きが働いて、厳しく激しいショックを引き起こしてしまうでしょう。人間1人ひとりの中に閉ざされている「大自由になろうとする心の動き」は、悲惨で残酷な未来を創ってしまう可能性が高いのです。

 

この危機を解決できる唯一無二の英雄集団は、日本しかありません。2つの核爆弾を投下されるという、これ以上ない大きなショックを受けた経験を持ち、また、すべてを手放す勇気を持つ唯一無二の国が日本です。人類史上、最高の団結をみせた明治維新、太平洋戦争、そして戦後の復興は、真理の魂であり、心の国だからこそ可能な歴史なのです。


旧いエンジンを新しいエンジンに交換させる令和ののぼり が立っている今こそ、脳に勝利する心エンジンが活躍するチャンスだと思います。

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これまでの「悟り」といえば、特別な人が得るものであり、また主観性が高いものであり、抽象的にとどまっている状態で、日常生活とは程遠いものでした。しかし、AI時代を迎えた今は、「悟り」を誰もが当たり前に使う時代です。

 

nTechエヌテックでは心を客観化し、認識再現と共に「悟り」の科学化に成功しました。つまり、誰もが、「悟りの認識再現」を日常のあらゆるジャンルに汎用性高く応用・活用することができるのです。ですから悟りを、知識化・技術化・商品化・職業化・産業化する道を拓くことができているのです。そして今、そこから生まれた「持続的に進化発展可能な組織システム・トーラス組織を構築する動き」の研究開発に取り組んでいます。

 

その組織システムとつながったとき、人類はようやく、500万年使った旧いエンジンを卒業できるのです。つまり、VRゴーグルを外すことに成功し、エネルギーの内に閉ざされている心(源泉的なひとつの動き)を解放するために、エネルギーの絡まりを優しく解くことができるのです。これによって、モデル不在のAI時代に「エンジン革命」を成し得て、「真・善・美・聖・和」の5つのDeepエンジンを、75億の全人類に装着できるようになるのです。これは、脳にいつも支配されてきた心が、逆に脳を完璧に支配する大反転をおこす心の時代の始まりであり、75億全人類の聖人時代の到来を意味しています。

 

今までのすべての知識を、ひとつ残らずオールゼロ化し、底上げさせる「新しい知識生産方式」を土台にした生き方モデルを具現化できる、人類初の勇気ある集団は日本しかありません。なぜならば日本は、明治維新で全世界をアッと驚かせ、残酷な原爆を受け入れても相手を恨まず、心の平和に成功し、その精神の素晴らしさで戦後復興に大成した世界一勇気がある集団だからです。今ここ完全観察システムであるnTechエヌテックが、日本のエンジンチェンジ革命であり教育革命である令和維新に貢献できれば幸いです。