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【令和哲学32】映画『ジョーカー』シリーズ(2): 映画『ジョーカー』現象を通してみた世界基軸教育の必要性、この教育を具現化する令和美学

 

令和哲学シリーズ32では歴史の脈絡からみて、なぜ映画『ジョーカー』が今のタイミングで生まれたのか、そして私たちがそこから何に気づくべきなのかと世界基軸教育について語ってみたいと思います。

 

参考:【令和哲学30】映画『ジョーカー』を通して〜生きること以上に価値がある死とは何か? 我慢して秩序をつくる心ではなく、∞の爆発を通して秩序をつくる心、それが今ここひとつの美学の世界~ - Noh Jesu 公式ブログ|

 

映画『ジョーカー』を通して、現代人が共通に持っている悲惨、惨め、怒り、挫折、絶望、焦り、孤独、不安、恐怖等の“エネルギーの感情ステーション(感情の駅)”自体を一掃させ、自分の感情に束縛されない大自由の心で、人と人とのつながりや尊厳関係が構築できる「希望のビジョン」を現代人が求めているということが明らかになっています。

 

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数万年前に誕生して以来、人類はずっと言語を開発し、思考感情を生成・蓄積・表現することで意味価値を追求してきました。

 

その虚構の基本単位は主語と述語(S+V)の世界です。

模様・形があって、模様・形が変化・運動・移動する運動パターンを観察し、それらを“主語があって述語があるというイメージの範囲”で意味価値を整理整頓し、理解体系として使っていました。つまり“模様・形がない世界”から“模様・形がある世界”が誕生したことに対して、「神が宇宙を創造した」という結論を出したのです。

これが、虚構が生まれるプロセスです。

 

古代の人類は虚構が生まれる仕組みをまったく分からない状態で、盲目的に神が宇宙を創造したことを信仰しました。

模様・形がない世界を神、絶対世界だと決めつけ、この絶対世界からすべてが成り立っていると思い込んでいたため、“結果は価値がなく原因に価値がある”と思っていました。“原因”がすべての力の源であり知恵の源として、第一原因・神を崇拝します。

 

その第一原因・神の崇拝状態となることで多くの群衆たちの「結集」が起き、信仰が拡がり農業革命が起きていきました。このように多くの人たちを結集することで、ホモ・サピエンスは虎やマンモスやライオンなど自分達より大きい動物さえも制圧し、他のホモ属を制圧し、地球を征服することに成功しました。

 

「結集」の問題は人間にとって生存の絶対条件であり、競争に勝利する絶対条件、生産力獲得のための絶対条件だったのです。また生産力増大の絶対条件でもありました。ホモ・サピエンスは言語と虚構を開発したため、大勢の人を結集して秩序をつくることに成功したのです。人間にとっての第一問題は結集の問題です。

 

現代もビジネスの場において、お客様をどう結集させるか、社員をどう結集させるか、情報技術をどう結集させるかは大事な要素になっています。

 

結集の次に出る問題は「分配」の問題です。

狩りに成功した人たちは、狩りの結果物をみんなに分配しなければいけませんが、どう平等に分配すればいいのか?の問題に直面するのです。

 

その問題を解決するために生まれた概念がリーダー、指導者の概念です。

結集して狩りの結果物をどうすれば平等に分配できるのか?平等な分配のために創ったリーダーが、逆に独断・独裁に走るため、リーダーの独断・独裁をどう解決しながらどうやって分配するのかが課題になりました。それで人類は民主主義や多数決をし、リーダーの任期期間を制限しました。そのような問題を解決する中で、人類は神と王様の絶対権力である全体主義の時代から、個人主義、民主主義、自由主義社会主義を誕生させました。

 

次に生まれる問題が、リーダーの交代による(すなわち政権交代による)政策システムの不連続の問題をどう解決するのかという問題です

リーダー、政治権力が変わるたびに全ての政策がころっと変わってしまうため、持続性がなく生活環境が不安定になってしまいます。政権が変わっても持続性を維持しながら、安定した生活システムを構築する必要性がありました。

 

そこで生まれたのが「神の見えざる手」、マーケット、資本主義でした。

政権が変わっても、商品価格やマーケットに関与をできるだけしないような仕組み、マーケットの開発によって安定した生活環境を守りながら、政権交代が可能になりました。

 

しかし、それによって貧富の格差、観点の格差、複雑の問題、統合の問題、尊厳の問題が発生しました。

 

マーケットによって激しい富の格差が起きるため、その複雑な格差が統合不可能になっている問題を明々白々に明らかしたのが映画『ジョーカー』の背景です。

 

全体主義から個人主義に変わるときは、美しい希望と未来がみえるような期待であふれていましたが、個人主義の結論も、全体主義に負けないくらい悲惨で残酷で、屈辱があふれる結論になっています。「神のみえざる手」と呼ばれたマーケットは、AIによって人間の仕事場も奪ってしまいます。そして多くの人々が“無用者階級”に転落してしまう時代がもうすぐ来るのです。

 

 

映画『ジョーカー』は個人主義の限界を訴える映画でもありますし、脳に支配されている観点の問題、感情の問題、認識構造の問題、関係性の問題、感覚の問題、解析の問題、解析主体の問題を気付かせる映画でもあります。

 

宗教を中心にする神本主義から科学を中心にする人本主義に、西洋のルネッサンスが起きました。

西洋哲学は人間の”5感の外”を重要視し、5感の結果物である現実世界よりさらに力と知恵を持つ原因、その原因の中でも一番深い第一原因を発見する方法(5感の外)で真理を追究してきました。

 

その結果、イデオロギーの衝突や宗教紛争はもちろん、世界レベルの大戦争、第1次・2次世界大戦が起きてしまいました。

 

西洋哲学界は戦争に到達させた思考方式を反省し、“5感の外”から原因を探すのではなく、“5感の内”を大事にするポストモダニズムを誕生させました。一人ひとりの人間の特別性を大事にする多様性、多元性を尊重するべきだと強調します。

その結果、複雑性が増大、格差が増大、統制不可能、未来予想不可能な状態が増大し、AIの登場、科学技術万能主義の登場、人間尊厳性の破壊、少子高齢化、持続不可能な未来社会など様々な問題を量産しています。

そんな多様な問題の中でもAIの登場とともに無用者階級が量産されるホモ・デウス〜新人類の登場は、ホモ・サピエンスの滅亡を予言しています。このハードランディングをソフトランディングに変えるためには、科学技術を補う認識技術が必須になります。

 

最近5G時代の到来とともに、事物インターネット時代に突入しています。

これは機械と機械、アルゴリズムアルゴリズムが相互交流するポスト身体社会の到来を意味しています。

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http://www.nr-japan.co.jp/ntech/index.html

 

ポスト身体社会とは、今までの身体を身体1.0ver(バージョン)で規定し、身体をアルゴリズムの総合体で規定し、体に電子アルゴリズム、チップを装着させ、半分は機械、半分は自然の身体にさせることを身体2.0と呼びます。

人間の脳細胞までも人工チップに変えるようになったときに、身体3.0と呼ぶことができます。身体3.0になってしまったら、今までの環境と分離独立している単一体として、単一体個人という概念がゼロ化されるようになります。

 

ここまでが科学技術の終焉です。

 

データ至上主義のもとで、データ至上主義を土台にした人間の体は、宇宙全体のデータの循環を活発にさせる無限に多いアルゴリズムデータのひとつの部品に過ぎません。その結果、ホモ・サピエンスとしての“個人”という概念が消滅するようになります。

 

この身体3.0バージョンの構築までが、科学技術が進化発達するシンギュラリティ、技術の特異点になります。これ以降の開発開拓は科学技術ではなく、認識技術(nTech)が開発開拓をリードしていくのです。

 

身体1.0、2.0、3.0の生産方式は、生命知能でした。生命知能は、因果の論理、主語と述語の論理、虚構の論理が中心として働く時代をつくりました。

これに続く精神知能は、物質の因果論理やエネルギーの重畳論理を生み出している“模様・形がない世界”が“模様・形がある「虚構」の世界”を誕生させる仕組みを観察できる時代を拓きます。この心の世界は、IoT(事物インターネット)からIoE(万物インターネット、Internet of Everything)時代に移動することを意味します。

 

機械的条件反射、因果論から自由になれない”5感の脳”が支配する認識から、脳に開放された心が支配する包越論理を土台に知識生産方式が発達してきています。

 

この時代はオールゼロ化感覚、心感覚が開発され、現実を映画のスクリーンのように捉え、スクリーンの外からスクリーンの内を自由に往来し映画を楽しむようになります。

この精神知能が進化し続ければ、尊厳知能、精神cell(細胞)を誕生させ、未来にはテレパシーコミュニケーションが可能な新人類へと変化していくことが予測できます。

 

生命知能は、

①神本主義(宗教の時代)

②人本主義(科学の時代)

③人間至上主義(ポストモダニズム

④テクノ人間至上主義(AI時代)

⑤データ至上主義(シンギュラリティ)

の時代をリードしています。

 

この5つの時代は人間の脳と科学技術がリードする時代でした。脳と科学技術による生命知能を含め、心と認識技術がリードする精神知能・尊厳知能までを融合した教育が世界基軸教育になれるのです。

 

映画『ジョーカー』は、人間一人ひとりが自分の宇宙、自分の映画をみて、自分のゲームをしているということ。すなわち今の時代が個人主義の末期ガンの状態であることを明らかにさせる映画でした。

何が客観的事実なのか、主観的妄想なのかの境界線が明確ではなく、お互いの映画解析が違う、お互いのゲームルールが違う。お互いの住んでいる宇宙が違う宇宙であることに気づかないまま、万人による戦闘や傷つけ合いばかりで、愛と信頼が住める場所は針の穴の空間さえもない、不信・不安・恐怖だけがある世界であることを、この映画『ジョーカー』は訴えています。

共通土台ゼロの個人と個人の出会いを共通土台∞(無限大)に変え、エントロピー∞の社会をエントロピーゼロに変えるためには、人間にDeep Learning、すなわち一番深い心から物事を観る「今ここ完全観察システム」「神の見えざる目」が必要です。それを中心にした世界基軸教育がとても必要だと認識できる映画でした。

 

世界基軸教育を具現化するのは唯一無二の英雄集団、世界最高の勇気を持っている集団である日本文明からしかできない確信があります。

今ここ完全観察システムを案内するnTechが、日本発の世界基軸教育の道具になれたら幸いです。

 

 

関連リンク:

blog.noh-jesu.com

【令和哲学31】情報通信革命5G時代を生きる智恵〜人間のディープラーニングとは?

 

この時代を生きる私たちが考えるべき中心概念とは何でしょうか?

 

宇宙自然の歴史と人類文明の歴史を貫く中心概念は、結集の問題と生産の問題ということができます。いかに結集の仕組みと生産の仕組みの進化発展を構築するのかが、未来を予測したり、決定したりする一番の中心要素になります。 

 

今までは、結集・生産力を高めるためには土地、労働、資本の要素が必要でした。この3つの伝統的要素から、情報・データが全ての競争要素を圧倒していくモバイル情報通信革命5G時代に移行してきています。(5G:第5世代移動通信システム) 

5G時代は、今までと比べられない量の情報を一気に移動させ共有共感ができるので、自然に人間が発信する情報も濃度の濃い情報にならなければならない時代になっています。今までは“体の人間”を指して「人間」と言っていた時代だったならば、5G時代は宇宙そのものが「人間」になる時代になっていきます。もちろんこの時の宇宙は物質の宇宙ではなく、意識の宇宙のことを言っています。

今までは物質の宇宙によって、人間一人ひとりの意識の宇宙が殺されていましたが、5Gの事物インターネット(IoT)時代になってくると、自然に物質の宇宙を完璧に制圧できる心の宇宙、意識の宇宙がメジャーになっていくのです。

 

それは、生命知能中心の時代から精神知能中心の時代に移動が起きるからです。

一人ひとりの精神が覚醒して、“体の人間”から“宇宙(Universe)が人間”になっていくのです。公共、共有で使用する時代から、個人で所有するようになったMy CarやMy Computerのように、物質的な宇宙1つを共有していた時代から一人ひとりが所有するMy Universeの時代に変わるのです。

 

My Universe、すなわちPersonal Universe(PU)の時代になるためには、心の半導体をつくる技術が一般常識になる必要があります。心の半導体をつくるためには、イメージ可能な世界とイメージ不可能な世界の理解が重要になります。電気のON/OFFを使ってコンピュータ画面が成り立つように、イメージ可能な世界のON/OFFによって、心のコンピュータ、意識の宇宙が誕生するのです。


PCの動作原理は、電気が通らないのが当たり前の世界に電気が通る現象を使って、スクリーン画面を誕生させます(電気半導体PC)。それと同じように、PUは、イメージ不可能な世界を当たり前にして、イメージ可能にさせる方法を構築した時に心の半導体が可能になります。心の半導体を開発することに成功したのがnTechエヌテックです。


イメージ不可能な心からイメージ可能な心が通る道には、リズムと特徴があります。その道を利用して、人類75億人共通の感情が流れる道を発見し、そこに10個のEnergyステーション(駅)と5つのEnergy振動パターンを私たちは発見しました。
山手線が内回り・外回りにグルグル回るように、10個の駅(Energyステーション)だけ、つまりひとつの“点(=固定したアルゴリズム)”の中だけで考えがグルグルしているのです。そのことに気づかせそこから自由にすることを、nTechエヌテックでは『感情手術』『Energy手術』と呼んでいます。

「電気が通らないことが当たり前の状態」から「電気が発明され電気が通る状態になる」ことは人類にとって大きな価値となりました。このように、「イメージ不可能な世界が当たり前の状態」から「イメージが可能になる世界の全て(目の前の模様や形など)」に価値があるもの=存在の価値を認識させることができるのです。
画面がない世界から画面が生まれる、つまり電気が通らない世界から、電気が通って画面が生まれる世界のように、イメージ不可能な世界からイメージ可能な世界に心の半導体が働いて、意識現象が起きる。その形で宇宙コンピュータが認識できるのです。

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現実は『コンピュータ・シミュレーション』です。
ビル1個分のコンピュータの中で作業したIBMの時代から、コンピュータの外に出て一人ひとりが手の平のようなスマートフォンを触るPersonal Computer(PC)の時代になりました。そのように、宇宙の中で生活した人間がビル1個分のIBMコンピュータを開発し、もっと更にPC、スマートフォンを開発しました。
そしてnTechエヌテック は認識コンピュータとして宇宙コンピュータを開発し、その宇宙コンピュータの外に心人間になって出て、Personal Universe(PU)へ、宇宙コンピュータを楽しむPUの時代を広げていくのです。

  

宇宙コンピュータを使う人間の結集(団結力)と生産性(創意と革新)は、比べられない結果を人類にプレゼントします。 

PUが当たり前になるためには、人間を束縛する思い込みの感情がどのように創られるのか、そして、いつもその感情エネルギーの無限ループに輪廻転生するのかを認識する必要があります。このカルマのマイナス感情エネルギーをゼロ化させることが、どんな病気をゼロ化させることよりも優先させなければならない“治癒”の活動だと思っています。

人間を束縛する感情から完全に自由にさせることを仏教では『解脱』、イメージ不可能な世界を活用し、虚無と孤独の感情を完璧に統制できていることを仏教では『涅槃』と呼んできました。また、絶対世界と相対世界の関係性を認識し、時間が生まれる事実を知ることを『実相』と呼んでいます。

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PUの時代は心の時代でもあり、心の秘密が当たり前になる悟りが一般常識になる時代でもあります。仏教の悟りをデジタル技術化して、現代文明、数学、物理学と繋げられるディープラーニングを完成させたのがnTechエヌテック です。 

情報通信革命5GのICT(情報通信技術の略、Information and Communication Technology)の時代は、発信して受け取る情報知識の量と質が今までより20倍の濃度が濃いメッセージが必要です。それは、悟りが一般常識になった状態での情報知識の整理整頓の習慣化が必要であるという意味です。

5Gによる事物インターネット(IoT)時代から、国家・民族・宗教の観点の障壁を超える世界基軸教育を実現する万物インターネット(IoE)時代に突入しています。この歴史的な大変革をおこす中心主体は「心の国」、英雄集団日本であることに確信があります。

IoE革命をリードする令和JAPANに、今ここ完全観察システムを案内するnTechエヌテック が貢献できれば幸いです。
 

 

関連リンク:

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【令和哲学30】映画『ジョーカー』シリーズ(1):映画『ジョーカー』を通して〜生きること以上に価値がある死とは何か? 我慢して秩序をつくる心ではなく、∞の爆発を通して秩序をつくる心、それが今ここひとつの美学の世界~

 

先日10月4日に公開された、映画『ジョーカー』を見てきました。

コメディアンを夢見る主人公アーサー。ひとりの人間がなぜ狂気あふれる“悪のカリスマ=ジョーカー”に変貌していくのかが描かれています。

 

映画ジョーカーは、世間的にかなり話題になっている映画です。
その理由は、主人公の精神状態が現代人とオーバーラップできる場面がたくさんあるからだと思います。いまの時代は宇宙空間が1個に実在している価値観から、宇宙空間が無限大あったりなかったりする量子力学的価値観へと世界観が移動している、不安定な精神状態になりやすい価値観の大転換の時代であるからです。
もうひとつは、主人公アーサーの主義主張ストーリーが主観的妄想なのか客観的事実なのか、アーサーのお母さんの主義主張が主観的妄想なのか客観的事実なのかによって、映画自体の解析シュミレーションが、多様な結論と多様な意味価値のメッセージを提供しているので、1回だけ映画をみて、自分が認識したシュミレーションと違う解析に出会った時、もう1回映画をみたくなる心理が働くのです。
この映画監督は意図的に曖昧・混乱、どちらでも解析できることを上手にストーリー展開の中にいれているので、映画をみる観客の選択によって、多様なシュミレーションが可能になる映画をつくることに成功しています。

 

私は令和哲学シリーズ30でこの映画を通して、個人主義全体主義の限界を認識し、令和哲学が案内する美学主義・共同体時代の意味価値を整理整頓する観点で、映画の感想を展開したいと思います。

 

(ネタバレ注意:この記事には映画『ジョーカー』の重大なネタバレが含まれています)

 

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「この人生以上に硬貨な死を望む」という言葉が、映画の冒頭に出てきます。

 

生きることよりも価値のある死を望むとは、どういうことでしょうか?

 

主人公アーサーは、ゴッサムシティ市長候補トーマス・ウェインの息子である可能性がありました。

しかし、当時家政婦として働いていたアーサーの母親ペニーは「妄想癖のある精神病のせいで、自分の養子をウェインの息子だと言い張っている」とウェインに主義主張されてしまいます。この彼の“富裕層側”の論理はでたらめであり、アーサーは家政婦とウェインの間に生まれた子供の可能性が高いと私は見ています。

 

そんなアーサーは、恋人に虐待されても防衛してくれない母親から『どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい』と、力がないから笑っているようにと教えられます。

自分が産んだ子供を自分の子供だとさえ言うことが許されない。自分が存在することも許されないなどというこの現実は喜劇でしかない、と彼は笑って生きようとします。

 

お金や政治権力を持っている人間側からすれば、この母親とアーサーに存在されては迷惑でしかなく、生きることや模様・形があること自体が失礼なことになります。アーサーにできることといえば笑うことくらいであり、この世に何の役にも立たないし、国家のお金を使うだけの連中だと思っているのでしょう。

この映画の根底にあるものを悟りの世界から観ると、“有”より“無”が価値がある時代であり、“模様・形がない世界”が“形がある世界”より価値があり、“イメージ不可能な世界”が“イメージ可能な世界”より価値があると、nTechでは解析しています。

 

偽物や嘘よりも本物や真実の方が価値がある世界であるにも関わらず、この世界を西洋の観点からみてみれば、貧富の格差があり過ぎて、AI時代に量産されると言われている無用者階級ばかりとなり、人間のその用途機能などは、もはや何処にも使うところがないから、いっそ死ぬ方がマシだと思うくらい悲惨で残酷で屈辱的なこの現実社会。この状況は、動物のような弱肉強食の汚い世界以外の何ものでもなく、お金も力もない人間の因果論理は通らず笑うしかない、とこの映画の中では描かれています。

権力もお金もある人間は、自分の子供でさえ 精神病者の養子だ!妄想だ!と勝手に創作ができてしまう状態ですから、原因と結果には一貫性すらありません。

 

ですから主人公アーサーは、次第に精神状態が悪化し、気持ちとは無関係に笑いが爆発してしまうようになります。それほど悲惨、残酷、屈辱の強烈なショックを受けて、精神までが破壊されてしまうのが貧富の格差が生み出す世界なのです。

 

これは人間にとってどれだけ悲惨なことでしょうか。

 

鬱になってしまうことは嫌であるけれど、本当のことについて考えてしまえば鬱になってしまい呼吸すらできなくなってしまうから、彼はもう笑うしかなくなってしまいます。

彼の唯一の生き甲斐であった母親に対しても、こんな悲惨で残酷で屈辱的で馬鹿な目に遭うくらいならば生きていること自体が恥ずかしいし、死ぬ方がマシだよ。なぜ模様・形がある方がいいの?模様形がない方がよっぽど価値があるよ、と彼は母親までも殺してしまいます。

 

そうしてアーサー自身は、遂に生きる意味価値を完全に失ってしまいます。

 

ピストルをアーサーに渡した友達もひどい人間だと、私は思いました。

これではアーサーも人間不信になってしまいます。道化師・笑いの業界では競争相手であるため、相手を潰して人生をおかしくさせるために「誰にも言わない」と言いながら告げ口することで足を引っ張ったため、アーサーはこの友達を殺してしまいます。

 

ラストに、廊下を歩く主人公アーサーの血の足跡のシーンがありました。それはウェインが愛するべき自分の子供アーサーを産んだ母親を精神病者にさせ、そのうえ自分の子供を精神病者の養子に偽装工作してしまうことは、まるで聖人イエス・キリストを詐欺師に偽装工作して、十字架で殺してしまうヴィア・ドロローサの一歩一歩の道程のようなイメージが浮かびました。

 

アーサーは実の親からも受け入れられることがなく、誰にも配慮されることもなく、それどころか、精神病扱いされた母親の恋人達から虐待されることに対して、アーサーを守ることもできない弱者の母が言った唯一の言葉は「アーサー、笑って」でした。そんな我慢の連続の苦しい、悲惨、残酷、屈辱のひどすぎる人生が、アーサーが歩んできた人生です。

 

一方、街では人々の我慢が爆発し、警察の秩序ではその勢いを治めることができなくなっています。とても容易く信頼関係は潰され、人が人を信頼することがいかに馬鹿なことなのか、貧富の格差も酷すぎて、自分自身の存在感さえも認識できないのに信頼関係なんてないに等しい状況です。

 

主人公アーサーは、生きるからこそ感じるその苦しみを一生懸命にカウンセラーに喋るのですが、本来人の話を傾聴する仕事の彼女は一度たりとも彼の話を聴けませんでした。挙句の果てには、その福祉サービスに予算がまわらないと政府から切られてしまい、話すことさえもできなくなるという弱者のコメディーの世界です。

 

一方、強者のコメディーの世界では、唯一残された仕事としてTVで人を笑わせるコメディアンが描かれています。AI が人間の殆どの仕事をし、収益はすべて権力者側(上部構造)が持っていて、街は本当に貧しく、映画で描かれている社会では、人々は笑うことができません。このためお金を持っていようがいまいが、笑わせることができる人が未来社会の唯一生き残っている職業となっているのです。

 

もう我慢する世界は美しくないから、我慢せず古い秩序は全部破壊し、気持ちをアウトプットする人々を見て美しいと感じるアーサー。

街には暴力があふれ、「強者、お金持ちの秩序を維持するために我慢はやめよう」と、弱者たちが思う存分自分達の怒りを爆発し、やりたいことを∞アウトプットし破壊するのが良いとし、お金に豊かな人達の秩序をお金がない人達が全部破壊し、自分の気持ちをそのまま爆発していることを美しいじゃないかと笑いながら伝えています。

 

いかに、だれもが人の話や心の声が聞こえないし、信頼ができないのか。

人の話を聞く仕事をしている人でさえ、私の話を一回も聞いてくれなかったじゃないか!

あぁ、だから生きることより死ぬことが価値があるし

「生きることより硬貨な死がいい」

生きる意味はあるの?こんなの酷すぎるよ。

生きることよりは死ぬ方がよっぽどいいじゃないか!

と、西洋社会に生きる『ジョーカー』は訴えています。

 

お金と力を持っている人間のための秩序は全部破壊して、我慢せず∞爆発、破壊することが必要なのだという世界に、未来のアメリカの姿を感じて私は身震いしました。

これは日本に24年間住む私が、今年7月にサンフランシスコへ行った際の率直な感想ですが、現在のアメリカの貧富の格差はすごいと感じます。しっかりした掃除もしないから道はひどく汚いし臭いもひどく、日本とは比較になりません。

 

仮面を被って破壊に走る。

これは未来のアメリカの姿だなと思いながら、アメリカそして西洋は大丈夫なのかと心配になりました。

 

しかしながら、破壊して死んだら終わるのかというと、カルマが蓄積されるだけで、生まれ変わった時にもっと酷い環境と出逢う輪廻システムが待っているから、そうではなく生きたままで死ぬことが重要だと思います。

 

「生きるままで死ぬことが価値がある」

 

それは、今ここが最悪の地獄なのだということを認識することです。

実は私達人間みんな、心がジョーカー状態なのです。

本当は自分が生きる意味も価値も分からないから笑うことなどできません。お金持ちとも競争するし、自分のお金や権力を維持する為に一生懸命嘘もつかないとなりません。

お金がない人は悲惨で惨めで残酷な状態です。一歩間違えば、みんながジョーカーになる可能性があります。何が本物で何が嘘かも分からなくなります。

お金持ちの論理だと母親が勝手な妄想をしているとされていますが、本当に妄想でしょうか。見ているとそうではなくやり込められた感じがしませんか。カルテ偽装です。解析は自由でしょうが、お金を使って精神病じゃないのに精神病にさせられた可能性が十分にあり、どちらにも取れるような描写になっていたと感じました。

まともに考えても一家政婦が雇い主のことを好きになり、その人と関係を持ち、その人の子を産みたくて、養子縁組みまでしてその子供を雇い主と自分との間に生まれた子供だと妄想するなんてあり得ない話です。

しかし病院の記録ではそうなっているし、それを人に見せたら駄目だというのは、お金と権力で外に出すなという裏の圧力が働いている可能性があるし、そう予測ができるようなシナリオにもなっています。

あまりにも悲惨で残酷で屈辱でどうしようもなく、強者からしたら生きていられるよりいなくなる方が価値があるし、弱者からしても死んでしまう方が価値があるのに何で生きるのかという疑問が起きます。お金持ちも当然“自分の体を自分だ”と思い込んでいるから、お金と権力を守る為に必死で、そのポジションを守る役割を果たしたのです。結果的にピストルで殺されて死んでしまいますが、子供がそれを見ているから恨み辛みが連鎖するのです。

 

 

この映画を、倫理道徳的な啓蒙教育の意図がある映画として解析してみると、映画全般を通して一貫性あるメッセージとは何だと言えるのでしょうか?

 

それは「美しさ」、「美学」です。

 

私たちは、ここ10年でこれほど時代が変わることを経験したことがありません。

 

社会状況が変わるスピードが速い時代に生きる我々に必要なことは、

“何が美しいかを判断できる価値基準を持てること“ と

“自ら定義する力” です。

 

つまり「哲学」と「美学」なのです。

 

何を美しいと感じるか、周りから与えられる基準点ではなく、自ら主体的に獲得した観察方式、すなわち模様・形がない無境界線・無方向性・無ポジションの「源泉的動き」から認識行為が起きた時に、芸術作品としての美しさを感じることができます。

 

参照:

 

 

では、この映画が訴えかけている哲学的本質について考えてみましょう。

 

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今までは“我慢による秩序創造”の時代でした。
宗教の限界や科学の限界を超えた美学の時代に行くためには、我慢せず∞アウトプットができることで秩序を創造する、新しい時代になることが必要です。
我慢せず∞アウトプットするために模様・形・大きさがない源泉的動きそのものになりきって表現する、その世界こそが本物の美しい美学認識が可能になるのです。

 

今までの我慢によってつくられた秩序を、暴力的に破壊することは美しいとは言えません。
それを暴力でなく、愛で古い秩序を新しい秩序に変える、その方法がわからない。
だから映画では、仮面を被って暴力で古い秩序を破壊する下部構造の弱者である『ジョーカー』の憤怒の爆発のシーンが登場しています。


仮面を被るしかないことは本物の道ではないことを知らせ、社会の上部構造(強者)と下部構造(弱者)がWin-Win,All-Win できる美しさを実現したい。上部構造であろうが下部構造であろうが、両方が我慢せず∞爆発できること、この時に真に美しい秩序がつくられるのです。

 

この映画が訴えかけている哲学的本質は、仮面を被らず上部構造・下部構造の両方が∞アウトプットできるWin-Win,All-Winの道をどうつくればいいのでしょうか?
その質問を投げかけた映画だと思います。

 

 

映画監督はラストシーンでカウンセリングを受けるアーサーを登場させることで、今までのすべてのストーリーが彼の妄想に過ぎないという結論を観客から誘導したかったのでは、と推測できます。

 

しかし、現代人ととてもオーバーラップが多すぎるアーサーの精神状態、(量子力学的な世界観の影響で、善もあり悪もある状態)と、我慢して強者の上部構造を維持させる下部構造の人達の精神状態が、とても切実に表現されてしまったので、“笑い”で終わりたい喜劇の映画の意図とは正反対に、多様な解析・多様なシミュレーションのカオス状態を創った結果、逆にそれがビッグヒットの原動力になった映画と思います。

 

この映画の大ヒットは、1950年黒澤明氏の映画『羅生門』のヒット理由と繋がって理解ができます。さらに映画『ジョーカー』は、社会問題、即ち貧富格差の問題、我慢してつくる秩序の限界を訴える素晴らしい映画になっています。

 

貧困の問題、介護の問題、格差の問題、統合不可能な問題、我慢の問題、裏政治の汚さの問題等々の社会問題を訴えている映画『ジョーカー』の中で、日本と繋がった最も重要で気づくべき本質的問題は何かを考えてみると、

 

それは、善悪が明白な機械的決定論の問題と、善悪の境界線が明確ではない、曖昧、確率的量子力学の世界観のカオス問題の衝突が、この映画『ジョーカー』が生み出した社会現象であり、この時代における日本へのプレゼント(問題意識)だと感じます。

 

この二つのカオスを解決できるのが日本の仕事、日本の教育革命で世界の大統合することだと私は思っています。

 

 

私は「令和ジャパン」がこの道を具現化できる唯一無二の集団であるという確信があります。日本のわびさび美学が、今までの宗教・科学が諦めた本物の真理の生き方のモデルを、この時代に見せてくれることを期待します。

この道へのこの期待とともに、今ここ完全観察システムであるnTechが「令和ジャパン」に貢献できれば幸いです。